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2017年7月のシスターコーナー(シスター小野島のブログです) [カトリック教会]

2017年7月のシスターコーナー(シスター小野島のブログです)
長い間の沈黙、ごめんなさい。6月にはブログ更新が出来ませんでした。その理由は、今からのブログ更新でお分かりいただけると思います。

6月は、修道会の用事と、生涯養成の一環としての同世代の会員達との集まりに参加し、
帰宅した翌日には、台湾へ飛びました。これは、修道会がフランスで創立されて、最初に中国へ派遣してから150年になる今年、台湾でその恵みを感謝する集いが行われました。

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1867年に中国大陸へ派遣された会員達は、貧しい子ども達の為の学校や診療所を開設し、女性達の技術訓練などを幅広く行いました。外国人宣教者達は、やがて政治状況の変更から、宣教者達は国外に出ることが求められました。その後、新しく日本管区創立の為に来日したグループに合流した宣教者達もいます。そして、中国人会員達は、上海に残ることを選び多難な生活を同邦と共に歩み続けました。
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そして、今から50年前に、台湾の創立が実現しました。会として中国宣教150周年を祝い、実りとしての台湾創立50年を祝う為に、インド・中国管区の会員と日本管区の会員を代表して、アジアの宣教グループとして祝いを共にしました。インドからは若いインド人のシスター、宣教女として働いているルーマニア人のシスターとイタリア人のシスターと責任者のドイツ人のシスターが参加。香港からインドネシア人のシスター、日本からは、管区長・シスター久守と50年前の創立に関わったシスター谷口(今、楠木在住)と戦争中台南で生まれた私が参加させて貰いました。創立当時の使徒職は台北と新竹に幼稚園やクリニックと教会での司牧・宣教の手伝いだったようです。シスター谷口は30歳代で派遣されたので、バッチリ習った言葉がどんどん出て来て自他ともにびっくり。

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お祝いが終わった翌日、皆でチャーターされたバスに乗って新竹に出かけ、歴史の旅をしました。
私は1980年に台湾訪問をしたことがありますが、詳細は覚えていません。今回、国際チームの皆で一緒に行くことが出来て良かったです。異なる感受性や好みが良く分かりました。

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途中、新竹出身の会員の兄弟の家を訪ねることもできました。トイレを借りると言う口実でおしかけ、会員の弟さん夫婦と妹さんと出会い、客家民族の食事を出すレストランで食事をしました。弟さんの民謡も素晴らしいでした。彼は、いつも色々な賞を貰う歌手だとか。

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その後、皆と別れて、私は、一つの個人的な目的を実現させる為にお願いしていた、台南への旅に出ました。通訳に台北から同伴をお願いしていたシスタークララは、ご自分の大学時代の同級生が台南に住んでおられるので、案内を頼んでくださったのです。「リンリンさん」と言う学校の先生で、彼女はご自分の弟さんの同伴を取り付けて、(この方も美術の先生で2年前に定年退職)第一日目はこのお二人で、私の出生地を昔の住所が今何と呼ばれるか、どこに位置するか、今は便利なGPS携帯で調べられるのですね。これは日本人の友人めぐみちゃんが、調べてくれました。彼女も一緒に台南へ。摂理的に、5月からご主人と台北に住んでいるのです。台南は台北から新幹線で2時間10分。日本の新幹線とそっくりの電車でした。

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1932年に創立された日本人「林」の名を持つ林百貨店にまず行きました。町の真ん中で、見事な百貨店。今でも営業しているのですから。この百貨店の屋上には神社が祭られ、日本的なまま。
その屋上に案内され、直ぐそこに見えるクレーン作業を指し示して、「あれが、あなたの生まれた地だよ」と言われました。彼は少しずつ案内を準備してくれたようです。周りには高いビルが並んでいました。

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めぐみちゃんが直ぐに、「きっと、シスターのお母さんはこの百貨店に買い物に来られたと思うよ」とつぶやきました。そう言われると急に近くに来ている実感が湧いてきました。

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私には今の呼び方の住所は中国語で良く分かりませんでしたが、6番だけど、数年前にここの家は解体されたので、住所のタグはない。それで、家の向かいの壊れかけた門に貼ってある住所5番のタグを指さすように求められ、「その向かい側が6番だよ」と言われました。そこは草ぼうぼうの空き地。近所の人がやって来て、この地の戦後を語ってくださり、英語に訳して貰ったところによると、日本人が戦争に負けて台南を去った後、この地は政府のものになったが、放置されていて、11家族の人達がこの家に住みこんだ。そして、つい最近5~6年前に立ち退きになって家が取り壊され、この土地は三越デパートに売却されたと言う。向かいや周辺はぼろぼろの家で、誰も住んでいないが、取り壊されぬまま、まだ放置されていると言う。門の中の家はぼろぼろになっていても、
日本の家の佇まいだった。

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この旅を実現させてくださった方々に感謝!思い出すことは何もないが、この地に私が母の胎内に居る時に、東京から移り住み、生まれて9か月目に父は戦地に召集されたと言う。だから父はここに一年位しか住んでいない。母はこんなに広い家に、二人の子どもと住み続けたのだ。母が一度私に言ったことがある。「会社から与えられた家は、なぜか広く、お父さんが出兵してからは、子どもと3人で住むようになって怖かった」と。母は日本に引き上げるまで4年位そこに住んだ。原爆投下の半年後、私は3歳になったばかり、兄は5歳になったばかりで、そこから原爆の焼野原に移り住んだ。今回のように当時をゆっくり思い巡らしたのは初めてだ。母の広島の実家では、母に「みごもっている子を広島で出産してから台湾に渡るように」勧めたらしいが、母は父と一緒に今台湾へ渡らないと、出産してから二人の子を連れて戦争の最中に行かれなくなると言って決行したと言う。そのお蔭で私達は生かされている!そして、父は私の顔をみて、9か月間でも私を世話してくれて旅立つことが出来たのだ!神様の摂理は素晴らしい!人生は本当に神様がすべてを準備してくださるように歩ませてくださっていると実感した旅でした。

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修道会が150年間中国大陸での宣教を通して受けた恵みを神様に感謝し、私の74年間の歩みもあらわにしてくださり感謝です。

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皆様いつもブログを訪問してくださってありがとうございます!いつも定期的に更新出来なくて済みません。これからも細々とでも書き続けます。来月は、早目に書きたいと思いますが…。よろしく!

暑さに負けぬようにしっかり互いに対策を練って頑張りましょう!そして平和行事の為に来広する巡礼者の為に祈りましょう。

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